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礼拝メッセージ 2017年10月8日

2017年9月3日
聖書:ヨハネによる福音書1章43〜51節

説教題
「新しい弟子たち」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

主イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときにフィリポを弟子として招かれました(43節)。少し前の場面には「ベタニアで」と記されているため、主イエスはベタニアから北へ進み、ガリラヤ地方の南側にあるサマリア地方近辺でフィリポを弟子として招かれたと考えられています(28節参照)。ヨハネ福音書4章には主イエスとサマリアの女性との対話が詳しく伝えられています。また使徒言行録8章には、初代教会の伝道者として歩んでいたフィリポが、サマリア伝道の働きを担っていたと伝えられています。このためヨハネ福音書は、サマリア地方近隣の地域の教会で書かれたと考えられています。このような地理的な背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜなら私たちも、それぞれが歩んでいた場所から教会へ招かれ、主イエスの弟子とされているからです。この意味をおぼえて、主イエスが私たちを新しい弟子として招いて下さった恵みを感謝して受け入れながら、週日の歩みへ遣わされてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 20:41
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礼拝メッセージ 2017年10月1日

2017年10月1日
聖書:ヨハネによる福音書1章35〜42節

説教題
「主イエスとヨハネの弟子たち」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

主イエスが来られる道を備えたヨハネは、ユダヤ教のファリサイ派に近い立場でした。このためヨハネの二人の弟子が主イエスに従った場面には、ユダヤ教から教会へ改宗した人々がいたことが示されていると考えられています(35〜37節)。また「泊まる」という御言葉の元の言葉には「主イエスを頭とする教会につながる」という意味があり、この御言葉はヨハネ福音書全体にしばしば用いられています(38〜39節)。このため「泊まる」という御言葉には、教会につながり続けることの大切さが強調されていると考えられています。このような背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜなら代々の教会のルーツはユダヤ教の信仰であり、私たちは教会につながって信仰生活を歩み続けているからです。この意味を心に刻み、神の小羊として十字架へ向かわれた主イエスのお姿を仰ぎ見ながら教会生活を歩み続けてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 20:39
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礼拝メッセージ 2017年9月24日

2017年9月24日
聖書:ヨハネによる福音書1章29〜34節

説教題
「神の子羊イエス様」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

「世の罪を取り除く神の小羊」という御言葉には、イエス様が十字架に架けられることによって、全ての人々の罪を赦して下さった恵みが示されています(29節)。エルサレム神殿では旧約聖書の時代に、神様に罪を赦して頂く祭儀(礼拝)のために小羊が捧げられていました。ヨハネ福音書は、ローマ帝国がエルサレム神殿を破壊して祭儀が行えなくなった後に記されたため、「神の小羊」という御言葉には、神殿の祭儀よりもイエス様の十字架のほうが大切であることが強調されていると考えられています。このような背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜなら「神の小羊」という御言葉には、イエス様が全ての人々を救いへ招いて下さるために十字架に架けられたことが示されているからです。この意味を心に留めて、イエス様が私たちを救って下さり、日々の歩みを守り導いて下さっている恵みに感謝しながら、新しい週を歩んでまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 20:34
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礼拝メッセージ 2017年9月17日

2017年9月3日
聖書:ヨハネによる福音書1章19〜28節

説教題
「主イエスの証し人ヨハネ」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

今日の場面には、ユダヤ教の預言者ヨハネが「主の道をまっすぐにせよ」というイザヤ書の御言葉を語ったと伝えられています。ヨハネ福音書が書かれた時代に、この御言葉は、救い主イエスが来られる預言として理解されていました。また少し先の場面には、預言者ヨハネの弟子たちが主イエスの弟子とされたと伝えられています(1章35〜37節)。このためヨハネ福音書は、研究的な視点では、預言者ヨハネの弟子たちによって記された可能性があると考えられています。また信仰的な理解では、主イエスの最も若い直弟子であったヨハネがこの福音書を書いたと考えられています。このように、ヨハネ福音書の著者について二つの説があることは、いずれも、私たちにとって大切な意味があります。なぜなら主イエスの最も若い弟子であったヨハネのように、私たちも主の若い弟子として招かれているからです。また預言者ヨハネのように、私たちも主イエスを証しする器とされているからです。この意味を心に刻み、主イエスの弟子として招かれている恵みを感謝して受け入れると共に、私たちも主を証しする者とされるように祈り合いながら教会生活を歩み続けてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 20:30
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礼拝メッセージ 2017年9月10日

2017年9月10日
聖書:ヨハネによる福音書1章6〜18節

説教題
「独り子なる神イエス」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

「独り子である神」という御言葉には、ヨハネによる福音書が書かれた時代の教会で、御子イエスが「神」と理解されていたことが示されています(18節)。このことに対して、他の福音書には主イエスのことが直接「神」として伝えられておりません。このため、四つの福音書の中で最も遅く書かれたヨハネ福音書の時代には、主イエスを「神」として礼拝を捧げることが定着していたと考えられています。また「父のふところにおられる独り子である神」という御言葉には、御子イエスが父なる神と一体であるという理解が伝えられています。ヨハネ福音書が書かれた時代は、教会がユダヤ教から独立し、父なる神と御子イエスを一体の神とする理解が確立していました。このため著者ヨハネは、御子イエスが神であることを福音書の冒頭で強調したと考えられています。この意味を心に留めて、独り子である神イエスが私たちを守り導いておられる御業を感謝して受け入れながら、週日の歩みへ遣わされてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 20:20
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礼拝メッセージ 2017年9月3日

2017年9月3日
聖書:ヨハネによる福音書1章1〜5節

説教題
「神の言(ことば)イエス・キリスト」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

「言は神であった」という御言葉には、神の御子イエス・キリストが言の神として地上に遣わされたことが示されています(1節)。この御言葉は、ヨハネ福音書が書かれた時代の人々が、聖書の御言葉に導かれて信仰生活を歩んでいたことを背景として記されました。また「この言は、初めに神と共にあった」という御言葉には、御子イエスが父なる神と一体であるという理解が示されています(2節)。この理解は後の時代に「父」、「子」、「聖霊」なる三位一体の神という理解へ発展致します。このような背景があるためヨハネ福音書は、信仰の理解が整えられつつあった二世代目〜三世代目の教会で書かれたと言われています。このことは、私たちにも大切な意味があります。なぜなら代々の教会では、聖書の御言葉を礎として三位一体の理解が受け継がれているからです。この意味をおぼえて、聖書の御言葉によって御子イエスの救いの御業を心に刻み、私たちの信仰が堅くされるように祈り合いながら、教会生活を歩み続けてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 11:22
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礼拝メッセージ 2017年8月13日

2017年8月13日
聖書:マルコによる福音書16章14〜20節

説教題
「洗礼を命じられた主イエス」

渡辺善忠牧師(要旨)
 
今日の場面は、マタイ福音書の締め括りと大変似ています。この御言葉はマルコ福音書が一度書き終えられた後に加えられた部分で、マタイ福音書と同じ紀元後70年代前半に記されたと考えられています。このため「信じて洗礼を受ける者は救われる」(16節)という御言葉と「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」(マタイ28章19節)という御言葉にはいずれも、当時の教会に、洗礼を授ける働きが制度として定着していたことが示されていると考えられています。このような背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜなら教会では二千年に渡って、復活の主のご命令に従って洗礼を授ける働きが受け継がれているからです。この意味を心に留めて、私たちが主イエスの十字架と復活による救いの御業を宣べ伝え、洗礼を授ける働きを尊ぶ器として用いられるように祈り合いながら、週日の歩みへ遣わされてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 11:15
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礼拝メッセージ 2017年8月6日

2017年8月6日
聖書:エフェソの信徒への手紙4章1〜6節

説教題
「教会の歩みと洗礼」

渡辺善忠牧師(要旨)
 
「主は一人、信仰は一つ」という御言葉には、神の御子イエスを唯一の救い主として信じることの大切さが伝えられています(5節)。また「洗礼は一つ」という御言葉には、主イエスを信じる者に洗礼を授けることが、全ての教会に共通する働きであることが示されています(5節)。エフェソ書はパウロの弟子たちによって書かれたと言われているため、今日の御言葉には、第二世代の教会において、信仰の大切な理解が受け継がれ、主イエスを救い主として信じる者に洗礼を授ける働きが定着していたことが示されています。さらに「父である神は唯一であって」という信仰の理解は、後の時代に、「父なる神」、「御子イエス・キリスト」、「聖霊なる神」を信じる三位一体の理解へ発展しました。今日の御言葉にこのような背景があることは、私たちにも大切な意味があります。なぜなら、三位一体の神を信じる者に洗礼を授ける働きは、二千年に渡って、教会の最も大切な働きとして受け継がれているからです。この意味を心に留めて、聖書の御言葉と聖霊によって、私たちの信仰が健やかに育まれるように祈り合いながら、教会生活を歩み続けてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 18:08
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礼拝メッセージ 2017年7月30日

2017年7月30日
聖書:使徒言行録8章26〜40節

説教題
「聖書の御言葉と洗礼」

渡辺善忠牧師(要旨)
 
今日の場面の前半には、「霊」がフィリポにエチオピア人が乗っていた馬車と一緒に行くように命じ、締め括りには「主の霊」がフィリポを別の場所に連れ去ったと伝えられています(29、39節)。このように「霊」の働きが重ねて記されているため、使徒言行録の著者ルカは、フィリポが聖霊に導かれて伝道を担っていた姿を強調していると考えられています。また中程の場面には、フィリポがイザヤ書の御言葉に基づいて、主イエスの救いの御業について告げ知らせたと伝えられています(35節)。このすぐ後にフィリポはエチオピア人に洗礼を授けたため、著者ルカは、聖霊と聖書の御言葉によって洗礼へ導かれることの大切さを示していると言われています。このことは、私たちにも身近な意味があります。なぜなら私たちも、聖霊によって教会へ導かれ、聖書の御言葉によって主イエスの十字架と復活を信じる者とされるからです。この意味を心に留めて、神が私たちの信仰を健やかに育んで下さるように祈り合いながら、教会生活を歩み続けてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 18:04
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礼拝メッセージ 2017年7月23日

2017年7月23日
聖書:コリントの信徒への手紙一1章10〜17節

説教題
「洗礼と教会の交わり」

渡辺善忠牧師(要旨)
 
今日の御言葉には、コリント教会で争いが起こり、教会が数グループに分裂していたと伝えられています(11〜12節)。第一/第二コリント書には、この他にもコリント教会で様々な問題があったと伝えられています。このような状況に対して、手紙の著者パウロは、主イエスの名前によって洗礼を授けられた恵みに立ち返り、主の救いの御業を土台として教会の交わりを堅く築くことの大切さを語り伝えました(13〜15節)。このような背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜなら教会の交わりは、主イエスの名によって洗礼が授けられることが礎であり、人間的な考えに寄り頼む時には混乱が起こることがあるからです。この意味を心に留めて、神が私たちを、主イエスの十字架と復活を土台とする交わりへ導いておられる御業に信頼しながら、教会生活を歩み続けてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 18:02
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