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聖書研究会 「詩篇80編、82編」

巣鴨教会聖書研究会 詩編80編82編

2020年3月15日 渡辺善忠

 

 今月はまだ学んでいない80編と82編を学びます。

 

詩編80編

 「アサフ」(1節)は研鑽を積んだ聖歌隊のような存在であったため、73編〜83編はエルサレム神殿の祭儀の時に音楽の専門的な訓練を受けた人々が歌っていた曲集であると考えられています(前回と前々回のレジメ参照)。「ゆり」は楽器を指す言葉だと言われていますが、詳しいことは分かりません。

 80編には「(万軍の)神よ(主よ)、わたしたちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ、わたしたちをお救いください」という詩が繰り返し歌われています(4、8、20節)。この御言葉には、紀元前587年に新バビロニア帝国がイスラエルを滅ぼし、多くの人々を捕虜としてバビロンへ連れて行った出来事が示されています。このため「いつまで怒りの煙をはき続けられるのですか」(5節)という御言葉には、捕虜として歩んでいた人々が、自分たちの不信仰のために国が滅ぼされたと理解していたことが伝えられています。

 「イスラエルを養う方」、「ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ」(2節)という御言葉には、神が古代の信仰者を守り導いておられた恵みが示されており、「ケルビムの上に座し」(2節)という御言葉には、天使ケルビムが支えている玉座に神が座しておられることが示されています。新バビロニア帝国がエルサレムの第一神殿を紀元前587年に破壊した後は、神は天に座しておられると理解されるようになったため、「ケルビムの上に座し」という表現が用いられたと考えられています。

 9節以降に続けて歌われているぶどうの比喩は、パレスチナ地方にぶどうが多く育っていたことを背景に記されました。同様の喩えはエレミヤ書、ホセア書、エゼキエル書にも収められており、これらの預言書はいずれも、イスラエルの人々がバビロンで捕虜とされていた時期に記されたため、神がイスラエルの人々を「ぶどうの木」を育むように慈しんでおられたという比喩は広く用いられていたと考えられています。主イエスはこのような旧約時代の歴史を受け継ぎ、「ぶどうの木の喩え」(ヨハネ福音書15章)を語られました。

 このような背景を心に留めて、80編の御言葉によって、神が罪深い私たちを「ぶどうの木」のように慈しみ、御子イエスを「光」(4、8、20節)として遣わして下さった御業に感謝を捧げましょう。

 

詩編82編

 「神」は旧約聖書の神をあらわす言葉であり、「神々」は他の宗教の神をあらわす意味があります。このため82編全体には、多神教であったパレスチナ地方近辺で、全ての神に勝るイスラエルの神が他の神々を裁く方であることが示されています。神が人間の裁きを司る方であることは他の詩編にも示されていますが、神が他の神々を裁くという内容は稀であるため、この詩編の原詩は神話的な題材であった言われています。

 パレスチナ地方近辺は、古代から現代に至るまで多くの宗教が混在しています。このためイスラエルの人々は、どの神が本当の神かということを常に自覚する必要がありました。このような信仰の理解は現在も続いているため、中近東近辺で起こる諍いは数千年に渡って「神々の戦い」と理解されています。

 国々を司る神という大きな視点に対して、「神々」という御言葉には神に守り導かれている人々という意味もあります。この意味は「あなたたちは神々なのか、皆、いと高き方の子らなのか」(6節)という御言葉に示されています。なぜならこの御言葉には、神の恵みを受けている人々が、自分を神とするような高ぶる気持ちに至ったことが示されているからです。このため「しかし、あなたたちも人間として死ぬ」(7節)という御言葉には、神が傲慢な人々を裁かれる意味が告げられています。

 神の御子イエスはこの詩編に基づいて、「神の言葉を受けた人たちが、『神々』と言われている」とおっしゃいました(ヨハネ福音書10章35節)。当時のユダヤ教の人々は、このお言葉を神への冒涜だとして、主イエスを捕らえようとしました。このような確執にも、ユダヤ教の人々が「どの神が本当の神であるのか」という選択に立たされながら信仰生活を歩んでいたことが示されています。

 古代の信仰者たちがこのような状況の中で歩んでいたことは、私たちにも身近な意味があります。なぜなら私たちも、仏教や神道の習慣の中で信仰生活を歩んでおり、日本には汎神論的な神理解が一般的であるからです。このような状況を古代の信仰者たちの歩みに照らして顧み、聖書の御言葉と聖霊によって三位一体の神を信じる信仰に堅く立ち続けるように祈り合いながら、教会生活を歩んでまいりましょう。

author:sugamo-church, category:聖書研究, 21:21
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