RSS | ATOM | SEARCH         
聖書研究会 「詩編57編、58編」

巣鴨教会聖書研究会 詩編57編58

2019年6月16日 渡辺善忠

 

 今月はまだ学んでいない57編と58編を学びます。

 

詩編57編

 前書きの「指揮者によって」という御言葉には、この詩編が指揮者を必要とする多くの人々によって歌われていたことが示されています。「『滅ぼさないでください』に合わせて」という御言葉は57〜59編の前書きに記されているため、この言葉に付された旋律があったと考えられています。またこの詩編はダビデがサウルから逃れていた時の歌とされていますが、「指揮者によって」という御言葉には多くの人々が歌うという意味があるため、現在の形に至った後は神殿の大掛かりな祭儀で歌われていたと考えられています。

 57編全体は、「わたし」という個人が艱難に直面した時に救いを求める祈りの歌です。しかし「神よ、天の上に高くいまし、栄光を全地に輝かせてください」という定型文が6節と12節に繰り返されており、この詩節によって全体の内容が二つに分けられているため、この詩編は二組の会衆や二つの聖歌隊によって歌い交わされていた可能性があります。また「目覚めよ、わたしの誉れよ、目覚めよ、竪琴よ、琴よ。わたしは曙を呼び覚まそう」(9節)という御言葉には、この詩編が、多くの楽器が備えられていた神殿(或いは大規模な会堂)で奏でられていたことが示されています。さらに「いと高き神」(3節)という御言葉は、天におられる神が全ての国々を治めておられる意味で他の詩編に用いられており、8〜12節は詩編108編の冒頭に並行箇所があります。このように他の詩編に共通する御言葉が収められているため、この詩編はダビデをはじめとする古代の信仰者が神の救いを祈り求めた言葉に共同体の祈りが加わり、神殿の祭儀や会堂の礼拝で奏でられる大規模な歌として整えられたと考えられています。

 57編がこのように発展した背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜなら私たちも、それぞれの歩みで直面する苦しみや悩みを抱きながら礼拝に導かれ、礼拝においては、自分の祈りが共同体の祈りとして昇華されるからです。また私たちは、信仰の共同体として聖書の御言葉を授かり、共に讃美歌を歌うことによって、神に祈りを聴き上げて頂くからです。この意味をおぼえて、「わたしは心を確かにします。神よ、わたしは心を確かにして、あなたに賛美の歌をうたいます」(8節)という御言葉に導かれて、苦難の中を歩んでいる時にこそ、礼拝で賛美の歌をうたう者とされるように祈り合いたいと思います。

 

詩編58編

 58編の始まりには、人間の世界に不条理な出来事があり、人間の裁きに公正さが欠けていることが歌われています(2〜3節)。「お前たち」(2〜3節)という御言葉はいずれも、「神々」(イスラエルの神以外の神々)を指す意味があるため、この詩には、イスラエルの神が真実であることに対して、他の神々が偽りであるという信仰の理解が含まれていると考えられています。この意味は、「神の矢に射られて衰え果て」というという御言葉にも示されています。なぜならこの御言葉は、他の神々を信じる他民族との戦いを背景に記されたと考えられているからです。また結びには、神がご自身に従う者を守るために、真実な裁きを行って下さる約束が告げられています(11〜12節)。冒頭と結びに囲い込まれている4〜10節には、現実世界の厳しさが毒々しい表現で伝えられています。このため58編全体は、偽りの神々ではなく真実な神のみに信頼して歩むことの大切さを示す歌として整えられたと考えられています。

 詩編150編全体には、神に信頼して歩むことの大切さが繰り返し歌われています(9〜12編、14編、37編、49編、73編、91編、94編等)。また神が裁き主であるという理解も多くの詩編に伝えられています(7編、9編、11編、96〜99編)。このため58編は、正しい裁きを祈り求める素朴な言葉を基として、神への信頼や悪を表現する言葉が加えられながら現在の形に至ったと考えられています。また古代において、神殿や会堂は礼拝を守る場でもあり、裁きを行う場でもありました。このため正しい裁きを祈り求める一連の詩編は、裁判が行われる前の式文として唱えられていた可能性もあります。

 このような背景は、私たちにも身近な意味があります。なぜなら私たちの周りにも、不条理に思える出来事が起こり続けているからです。また人間がお互いを裁くことには、限界があるからです。多くの人々は、直接的に裁判に関わり合うことはありません。しかし私たちは、心の中で周りの人々を裁くことはないでしょうか。或いは様々な不条理に慣れてしまい、罪に対して鈍くなっていないでしょうか。また裁判制度を、他人事のように思っていないでしょうか。この意味をおぼえて、厳しい現実の中で、真実な裁きを行う神のみに信頼し続けることの大切さを心に刻みながら、教会生活を歩み続けてまいりましょう。

author:sugamo-church, category:聖書研究, 14:59
comments(0), -, pookmark