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聖書研究「出エジプト32章」

 巣鴨教会聖書研究会 「出エジプト32章」

2010年2月21日 渡辺善忠 牧師

1.モーセの執り成し

出エジプト記には、イスラエルを率いたモーセが、神と民とを執り成しながら約束の地に向かって歩んだ出来事が伝えられています。32章では特に、「モーセは主なる神をなだめて言った」という言葉と、「主は御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された」という言葉に、モーセの執り成しの働きが示されています。この間に記されているモーセの言葉によって、神は御心を変えて下さいました。この出来事には、隣人を執り成す私たちの祈りに応えて下さる神の慈愛が示されています。

またモーセの執り成しの言葉の中に、民を「弁護する」意味が含まれていないことには、執り成しが本来、罪を減ずる働きではないことが示されています。この意味は、聖書全体に記されている人間の罪と神の裁きの関係にも関わっています。なぜなら、私たちは罪ある姿のままで神の御前に出て裁かれるべき存在であるからです。

 あるキリスト者の裁判官は、神の裁きと人間の罪のことを裁判に関わる姿勢として受け止め、「犯罪者の罪については厳正に審理をするべきだが、刑の執行については慈悲深くあるように努めたい」と述べています。この考えは、信仰の目と知恵で物事を判断することと、他者との交わりを築く上で大切な鍵となるように思われます。私たちはこの意味を心に留めて、全ての人間が神の御前には罪人であることを心に刻むと共に、私たちも隣人の執り成す器として用いられるように努めてまいりましょう。

 

2.背信から再生へ

 「今は、わたしを引き止めるな」(10節)という言葉には、イスラエルを滅ぼそうとされた神の御心が示されています。しかし神は、モーセの執り成しによって、イスラエルを滅ぼすことを思いとどまられました。神がこの後に御心を変えて下さったことから、この時点で神はまだ、決定的な裁きを告げていないと考えられます。また神はこの後にモーセの言葉に耳を傾けられたことから、この場面には、イスラエルがご自身に背いた出来事を通して、神がモーセの信仰を鍛えようとされた意味も含まれていると思われます。私たちはこの意味をおぼえて、愚かな振る舞いを続ける私たちを、変わらずに顧みて下さる神の慈愛を心に留めるべきでありましょう。

 また、祭司職を任ぜられていたアロンに変わって、レビの子らが祭司職に任命された出来事には、祭司職の職制が整えられたことが背景にあると言われています。この場面にはレビ人が同胞を殺した出来事が記されているため、レビ人が祭司職を担う部族とされた時点で、何らかの方法で粛清が行われた可能性もあると思われます。

 この二つの出来事は、私たちの信仰の歩みにも関わっています。なぜなら、神が全ての人々を愛し、ご自身の民として招いておられる恵みは、教会(=祭司職の共同体)を通して告げ知らされるからです。私たちはこの意味をおぼえて、私たちの教会が、神の救いの御業を告げ知らせる器として用いられるように祈りを合わせましょう。

author:sugamo-church, category:聖書研究, 12:37
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