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聖書研究会 「詩編145編、32編」

巣鴨教会聖書研究会 詩編145編、32編

2017年1月15日 渡辺善忠

 

詩編145編(1月22日・公現節第三主日)

 1月15日と22日はハイデルベルク信仰問答45〜47の「主の祈り」について学びますので、1月15日の合同礼拝では祈りの素朴な内容が歌われている65編を、22日は神を賛美し、御心に従うことの喜びが歌われている145編を交読致します。

 145編は、詩編全体を代表する賛美の歌として、ユダヤ教でも教会でも広く用いられています。第一神殿時代の王であったダビデに帰されている詩編の多くは苦悩を歌う内容ですが、この詩だけは「賛美・ダビデの詩」と冠せられています。このため145編は、神殿の祭儀が安定して行われていた第二神殿時代に創られ、神殿の祭儀や会堂の賛美歌として用いられるようになったと考えられています。

 この詩が第二神殿時代に作られたことは、原詩がヘブライ語のアルファベットによる「いろは歌」であることにも示されています。なぜならこの詩の「いろは歌」は、素朴な数え歌が技巧的に発展した歌であるからです。また「わたしの王、神よ、あなたをあがめ、世々限りなく御名をたたえます」(1節)、「すべて肉なるものは、世々限りなく聖なる御名をたたえます」(21節)という冒頭と結尾の御言葉には、第二神殿時代のユダヤ教が、イスラエル以外の人々へ開かれていたことが示されています。

 このような背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜなら教会は、洗礼を受けて教会員となった方々を中心として、多くの方々を迎え入れる開かれた信仰共同体であるからです。この意味を心に留めて、私たちが多くの方々をお迎えする器として用いられるように祈り合いながら、145編を交読致しましょう。

 

詩編32編(1月29日・公現節第四主日)

 1月29日は交換講壇日として、牛込払方町教会の山ノ下恭二牧師をお招きすることとなりました。聖書箇所はイザヤ書54章10節、第二コリント書4章16〜18節で、「外なる人が滅びても」という説教題に基づいて詩編32編をお選び頂きましたので、詩編の学びによって山ノ下先生をお迎えする備えを致したく思います。

 32編の1〜7節は悔い改めを主題としており、「いかに幸いなことでしょう、背きを赦され、罪を覆っていただいた者は」(1節)という願いや、「主にわたしの背きを告白しよう」(5節)という志には、信仰者が神へ立ち返る道が示されています。

また後半の「わたしはあなたを目覚めさせ、行くべき道を教えよう」(8節)という御言葉には、神が詩人を守り導いて下さる御業が示されており、「神に従う人よ、主によって喜び踊れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ」(11節)という御言葉には、罪が赦された信仰者の喜びが伝えられています。このような構成であるため、前半の1〜7節は祭儀に参加した信仰者が罪を告白する言葉として、後半の8〜11節は司式者が信仰者へ罪の許しを宣言する言葉として歌われていたと言われています。

32編がこのように歌われていたことは、私たちにも身近な意味があります。なぜなら、会衆の罪の告白に応えて司式者が罪の許しを告げることは、ユダヤ教から教会へ受け継がれた伝統であるからです。この意味を心に留めて、礼拝において私たちの罪を心の内で神に告白すると共に、神が私たちの罪を赦し、喜びで満たして下さる恵みを感謝して受け入れながら、信仰生活を歩み続けてまいりましょう。

author:sugamo-church, category:聖書研究, 23:57
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