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聖書研究会 「詩編40編、99編」

巣鴨教会聖書研究会 詩編40編、99編

2016年月1日 渡辺善忠

 

詩編40編(9月25日・ハイデルベルク信仰問答38)

 この詩編の前半(1〜12節)には、詩人が神の救いを体験したことを人々に伝えるために、この詩編が「新しい歌」(4節)として作られたと伝えられています。

 前半の中ではまず、「わたしたちに対する数知れない御計らい」(6節)という御言葉に大切な意味があります。なぜならこの御言葉には、詩人が助けられた出来事が、個人的な救いではなく、イスラエルの歴史の一つであることが示されているからです。

 また、「ラハブ」(5節)という御言葉は、固有名詞ではなく、「他の神々」、「高ぶる自信家」という意味があるため、この詩編は、イスラエルの人々が、他の神々や高ぶる人々に囲まれていた紀元前6世紀の捕囚期に編纂されたと考えられています。

さらに7節には、いけにえ、穀物、供え物を用いる祭儀ではなく、「わたしの耳を開いてくださる」神の御業への感謝が伝えられており、「巻物」(8節)という御言葉は、捕囚期に記された書物を指す意味があります。このため詩編40編は、現在の旧約聖書の元の書物が捕囚期に書かれ始めた時期に編纂されたと考えられています。

 また後半(13〜18節)には、救われた詩人が繰り返し罪に誘われる中で、救いを求める祈りへ向かったと伝えられています。この御言葉には、洗礼によって罪が赦された私たちが、日常の歩みにおいて罪に悩みながら、礼拝において繰り返し罪の赦しを祈り求めることの大切さが示されています。

この意味を心に留めて、神が私たちを、ご自身の救いの歴史に加えて下さっている恵みに感謝を捧げると共に、礼拝において、罪の中から繰り返し神に立ち返る者とされるように祈り合いながら、この詩編を交読致しましょう。

 

詩編99編(9月11日・ハイデルベルク信仰問答36)

 詩編99編は、神を讃える普遍的な言葉で構成されているため、神殿の祭儀では、現在の「頌栄」のような賛歌として日常的に用いられていたと考えられています。

 「主こそ王。諸国の民よ、おののけ」(1節)という御言葉は、神がイスラエルの人々を捕囚から解放して下さった御業を周辺諸国に誇り高く伝える意味があるため、この詩は、エルサレムに第二神殿が建てられた紀元後6世紀後半に現在の形に編纂され、神殿の祭儀で歌われるようになったと考えられています。

 この詩が神殿で歌われたことは、「足台に向かってひれ伏せ」(5節)、「聖なる山に向かってひれ伏せ」(9節)という御言葉に示されています。なぜなら「ひれ伏せ」という御言葉は「拝する」(礼拝する)という意味があるからです。また「ケルビムの上に御座を置かれる」(1節)、「足台」(5節)という御言葉はいずれも、神殿で用いられていた祭具を指す意味があるため、これらの御言葉にも、この詩が神殿の祭儀で歌われたことが示されていると考えられています。

 さらに6〜8節には、モーセとアロンに率いられた出エジプトの出来事が簡潔に歌われています。ユダヤ教は出エジプトの時期に始まったため、この詩の原詩は、イスラエルに王が立てられた時の任職式で用いられていた可能性もあると言われています。

 このような背景は、私たちにも身近な意味があります。なぜなら私たちも、主日礼拝ごとに神を讃える「頌栄」を歌っており、讃美歌には神の救いの歴史を伝える役割があるからです。この意味を心に留めて、私たちが神をほめ讃える器として豊かに奏でられるように祈り合いながら、詩編を交読致しましょう。

author:sugamo-church, category:聖書研究, 23:52
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