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聖書研究会 「詩編9〜10編」

巣鴨教会聖書研究会 詩編9〜10編

2016年7月1日 渡辺善忠

=アルファベットによる詩=

 詩編9〜10編の冒頭に記されている、「アルファベットによる詩」という言葉には、二つの詩編が、ヘブライ語のアルファベットを行頭とする詩であることが示されています。このようなタイプの詩編は、日本語の「数え歌」にあたるため、9〜10編は元々、信仰の内容をおぼえるための歌として整えられたと考えられています。

 アルファベットを日本語に当てはめることは不可能ですが、繰り返し詩編を交読することによって、詩の内容を心に深く留めるように努めたいと思います。

 

詩編9編

 詩編9編と10編は、苦難の中でも神に信頼を持ち続けることの大切さを伝える一続きの詩であると考えられています。二つの詩は内容が頻繁に変わるため、古い時代の原詩が、前述のアルファベットの配列に沿うように整えられたと考えられています。

 個人をあらわす「わたし」(2、3、5、14節)という言葉が繰り返し記されていますが、この詩全体は神に信頼を寄せる共同体の歌として収められています。また、 「立ち上がってください、主よ」(20節)という御言葉は、古代に移動式の祭壇を担ぐ時の言葉であったと言われています。このため9編は、神への信頼を歌った個人の歌が共同体の歌として発展した後に、アルファベットの詩に至ったと言われています。

 さらに「シオンにいます主をほめ歌い」(12節)、「おとめシオンの城門で(15節)という御言葉はいずれも、シオン(=エルサレム)の神殿が信仰の中心地であることを示す意味があります。このため詩編9編は、エルサレムの第一神殿が滅ぼされて、捕囚時代を経た後に、第二神殿が建てられた時期に発展したと考えられています。

 このような背景は、私たちにも身近な意味があります。なぜなら、古代のイスラエルの人々が神殿を信仰の中心地と考えていた姿は、私たちにとっては、教会を中心として信仰生活を歩むことであるからです。この意味をおぼえて、「教会」という共同体として信仰生活を守ることの大切さを心に留めたいと思います。

 

詩編10編

 冒頭に記されている「主よ、なぜ遠く離れて立ち、苦難の時に隠れておられるのか」(1節)という御言葉は、イスラエルの多くの人々が、エルサレムから「遠く離れて」バビロンで苦難の中を歩んでいた時代を背景に記されたと考えられています。また、「神はわたしをお忘れになった。御顔を隠し、永久に顧みてくださらない」(11節)という御言葉にも同じ状況が示されています。この内容は詩編9編にも通じるため、9編と10編はいずれも、紀元前6世紀中頃に発展したと考えられています。

 さらに「あなたの裁きは彼にとってはあまりにも高い」(5節)という御言葉や、  「主は世々限りなく王」という御言葉は、神が全ての国々を治めておられる御業を伝える意味があります。これらの御言葉は、9編と10編が現在の形に編纂された紀元前6世紀の後半に加えられた可能性があるため、二つの詩編は、第二神殿の祭儀で用いられるようになった時期に、現在の形にまとめられたと考えられています。

 二つの詩編がこのような経緯でまとめられたことは、時と場を越えて、全ての時代の信仰者にとって大切な意味があります。なぜなら、地上の全ての民を創られた神は今も、全ての国々を治めておられるからです。私たちはこの意味をおぼえて、世俗の為政者を越えて世の国々を司っておられる神の御業を見出す者とされるように祈り合いながら、教会生活を歩み続けてまいりましょう。

author:sugamo-church, category:聖書研究, 23:43
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