RSS | ATOM | SEARCH         
聖書研究会「詩編13〜14編」

巣鴨教会聖書研究会 詩編13〜14編

2017年4月30日 渡辺善忠

 

詩編13編

 13〜14編の作者はダビデに帰されておりますが、二編とも苦しみや嘆きが歌われています。二編の内容は一般的な嘆きであり、「指揮者によって」、「賛歌」という御言葉には、この歌が多人数で用いられていたことが示されています。このため13〜14編は、苦しみや嘆きを執り成す祭儀で歌われていたと考えられています。

 神が信仰者を「忘れておられ」、「御顔を隠しておられる」という御言葉は、紀元前6世紀にイスラエルが滅ぼされ、多くの人々が捕虜としてバビロンで歩んでいた時代に使われていました(2節)。また「敵はわたしに向かって誇る」(3節)、「敵が勝ったと思うことのないように」(5節)という御言葉にも、イスラエルが戦争に負けた出来事が示されています。さらに、「主はわたしに報いてくださった」(6節)という御言葉は、イスラエルの人々が捕虜から解放されたことを伝える意味があります。イスラエルの人々は紀元前6世紀に約50年間捕虜とされていたため、この詩は、捕虜とされていた時代の嘆きの詩を元として、解放された時の喜びの言葉が加えられ、エルサレムの第二神殿の祭儀で用いられるために編纂されたと考えられています。

 このような背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜなら私たちも、礼拝の時に苦しみや嘆きを神に告白し、聖書の御言葉と聖霊によって救いへと導かれ、「主に向かって歌う」(6節=賛美を捧げる)者とされるからです。この意味を心に留めて、神が礼拝を通して、私たちを苦しみや嘆きから救い出して下さる御業に信頼する者とされるように祈り合いながら、詩編13編を歌い継ぎましょう。

 

詩編14編

 「神を知らぬ者は心に言う、『神などない』」という御言葉は、イスラエルの人々が捕虜とされていた時代に、バビロンの人々から嘲られた時の言葉であると考えられています。また「神を求める人はいないか」(2節)、「悪を行う者は知っているはずではないか」、「主を呼び求めることをしない者よ」(4節)という御言葉は、イスラエルの人々がバビロンで歩んでいた時代に、信仰から離れた者がいたことが示されています。

 さらに、「イスラエルの救いがシオンから起こるように」、「主が御自分の民、捕われ人を連れ帰られるとき」(7節)という御言葉は、イスラエルの人々が捕虜から解放された後に、シオン(=エルサレム)の神殿で再び礼拝を捧げる歩みへ導かれたことを伝える意味があります。このため14編は、13編と同様に、イスラエルの人々が捕虜とされていた時代の嘆きの歌を原詩として、捕虜から解放された喜びが加えられ、エルサレムの第二神殿で用いられる賛歌として現在の形に至ったと考えられています。

 13〜14編がいずれも、エルサレムとバビロンを背景に歌われ、現在の形で歌い継がれていることは、私たちにも身近な意味があります。なぜなら私たちは、日曜日に礼拝を守った後に、週日の歩みにおいて苦しみや悩みに直面することがあっても、日曜日ごとに週日の苦難から解放され、礼拝を捧げる神の民とされるからです。この意味をおぼえて、旧約時代の「神殿」が私たちの「教会」であることを心に留めると共に、神が私たちを繰り返し礼拝へ導いて下さる御業に信頼する者とされるように祈り合いながら、教会生活を歩み続けてまいりましょう。

author:sugamo-church, category:聖書研究, 17:20
comments(0), trackbacks(0), pookmark