RSS | ATOM | SEARCH         
聖書研究会「詩編149〜150編」

巣鴨教会聖書研究会 詩編149〜150編

2017年6月18日 渡辺善忠

 

 6月11日の51編、18日の107編はすでに学んだため、今月は25日に交読する150編と149編の二編を学びます。

 

詩編149編

 146〜149編には、「ハレルヤ」(=神を賛美せよ)という御言葉に導かれて、詩編全体の内容が伝えられており、150編ではシンプルな言葉で神への賛美が歌われています。このため詩編を現在の形に編纂した人々は、146〜149編によって詩編全体の内容を要約し、結びの賛美として150編を収めたと考えられています。

 149編全体は勝利の響きで満ちているため、この詩は、イスラエルの人々が捕虜とされていたバビロンから解放され、エルサレムに戻った時期に歌われていたと考えられています。このような背景は、三回に渡って記されている「主の慈しみに生きる人」という御言葉に示されています(1、5、9節)。なぜならこの御言葉は、エルサレム神殿を再建していたグループを指す呼称であったため、149編は、神殿が再建されることを鼓舞するために歌われていたと考えられているからです。

 また「伏していても喜びの声をあげる」(5節)という御言葉には、祭儀の中で神を拝しながら賛美を歌った所作が反映していると言われています。このため149編は、エルサレム神殿が再建された後の祭儀でも歌われていたと考えられています。

 149編がこのような経緯で編纂されたことは、現代の教会にとって大切な意味があります。なぜなら賛美歌は、礼拝で歌い継がれることによって発展する詩歌であるからです。この意味を心に留めて、私たちの教会が良き賛美を神へ捧げる器として奏でられるように祈り合いながら、賛美歌を歌い継いでまいりましょう。

 

詩編150編(6月25日)

 6月25日はペトロの手紙一1章3〜12節の御言葉によって、全ての人々が神の救いの御業へ招かれている恵みを分かち合うため、「息あるものはこぞって、主を賛美せよ」(6節)という詩に導かれて、150編を交読することに致しました。

 「聖所」という御言葉には、詩編が「聖なる所」(=神殿、ユダヤの会堂、教会)で歌われるために編纂されたことが示されています。また「大空の砦」という詩的表現には、「聖所」を越えて詩編が広く歌われることへの希望が示されています。

 さらに、「角笛」、「琴」、「竪琴」(3節)、「太鼓」、「弦」、「笛」(4節)、「シンバル」(5節)は、詩編を含めて、旧約聖書全体に用いられている楽器です。これらの楽器と呼応して、人の声によって「神を賛美せよ」という歌詞が繰り返し記されていることに加えて、「息あるものはこぞって、主を賛美せよ」と記されているため、これらの御言葉には、被造物全体が神を讃えるための存在であることが示されています。また「踊りながら」(4節)という御言葉には、「踊り」も賛美に含まれることが示されています。このような意味があるため、150編には、神の創造の御業に応えて、あらゆる方法で神へ賛美を捧げることの大切さが伝えられていると考えられています。

 このような背景は、ペトロの手紙の御言葉にも示されています。なぜならこの日に学ぶ御言葉には、全ての人々が神の御業に招かれ、神を賛美する者とされることの大切さが説かれているからです。この意味を心に留めて、私たちの教会が、神の創造の御業に応える賛美の器とされるように祈り合いながら、詩編全体の締め括りとして収められた「頌栄」として150編を交読致しましょう。

author:sugamo-church, category:聖書研究, 17:45
comments(0), trackbacks(0), pookmark