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聖書研究「イザヤ書41章」

 巣鴨教会聖書研究会 「イザヤ書41章」

2012年9月16日 渡辺善忠 牧師

1.第一イザヤから第二イザヤへ

 40〜55章の著者である第二イザヤは、前587年に南ユダ王国が新バビロニア帝国に滅ぼされ、イスラエルの人々が捕虜としてバビロンに抑留されていた時代から再びエルサレムに帰った時期の預言者であったと考えられています。このような背景があるため、第二イザヤの預言は、(疥困箸靴謄丱咼蹈鵑砲い織ぅ好薀┘襪凌諭垢悗琉屬瓩販紊泙掘↓▲ぅ好薀┘襪凌諭垢再びエルサレムに帰ることへの希望、という二つの内容を柱としています。この二つの柱は、冒頭の二章に示されています。なぜならまず40章では、エルサレムに帰ることへの希望が慰めと共に告げられ、41章では捕虜であった人々への励ましが語られているからです。このため第二イザヤ書の著者は、冒頭の二章で40〜55章全体の主題を奏でていると言われています。

また、41章に記されている「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。」(10節)という御言葉は、第一イザヤの「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(7章14節)という御言葉に通じる意味があります。なぜなら「インマヌエル」いう言葉と「あなたと共にいる」という言葉は、元々は同じヘブライ語であるため、この御言葉には、第一イザヤで示された主題が、次の時代にも続いていることが示されているからです。

 このように、第一イザヤの主題が第二イザヤに受け継がれていることは、私たちにとっても大切な意味があります。なぜなら、「神がわたしたちと共におられる」という預言は、神が御子イエスを救い主として遣わされたことで、目に見える出来事となったからです。私たちはこの意味をおぼえて、旧約聖書に記されている神の救いの歴史によって、時代を越えて私たちと共におられる神の恵みを心に留めたいと思います。

 

2.神の審判と選び

 41章は、神が裁きを行う預言が記されています。神が裁きを行うことは、「互いに近づいて裁きを行おう」(1節)という言葉と、「訴え出て、争うがよい、と主は言われる」(21節)という二つの御言葉に示されています。この御言葉はいずれも、イスラエルの神がバビロニアの神々を裁くという意味があるため、この預言には、イスラエルの神が他の神々に優っていることが示されていると言われています。さらに、「島々よ、わたしのもとに来て静まれ。国々の民よ、力を新たにせよ。」(1節)という御言葉は、イスラエルやバビロニアの人々以外の国々の人々が、神のもとに来て新しい力を与えられることが示されています。この御言葉の後に、「互いに近づいて裁きを行おう」という預言が記されているため、第二イザヤはこの御言葉によって、全ての国々を司っておられる神の御力を強調すると共に、捕虜として歩んでいるイスラエルの人々に対して、神の御力に信頼することを促していると考えられています。

 さらに第二イザヤは、このような大きな視点の中で、捕虜であったイスラエルの人々を神が顧みておられる恵みを語っています。この意味は、「彼らは助け合い、互いに励ましの声をかける。」(6節)、「あなたはわたしの僕、わたしはあなたを選び、決して見捨てない」(9節)、「恐れるな、虫けらのようなヤコブよ」(14節)などの御言葉に示されています。なぜならこれらの言葉には、全ての国々を司っておられる神が、小さな存在を信仰の民として選び、導いておられる恵みが示されているからです。

 私たちはこの意味を自らに照らして受け入れ、神が弱く小さな私たちを選び、信仰の民(=教会)として守り導いて下さっている御業を見出す信仰の目を与えられるように祈り合いながら、教会生活を歩み続けてまいりましょう。


author:sugamo-church, category:聖書研究, 15:06
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