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礼拝メッセージ 2020年5月10日

2020年5月10日
聖書:ルカによる福音書24章13〜35節

説教題
「復活の主と男性の弟子たち」

渡辺善忠牧師(要旨)
 


復活の主イエスが二人の弟子に現れた時に、弟子たちの目は遮られていました(13〜16節)。弟子たちは主が十字架に架けられた出来事で心が塞がれて、主が復活される約束を思い起こすことが出来なかったのです。この場面には、私たちが悩みや困難に直面した時に、復活の主が共に歩んでおられる恵みに気付かないことが示されています。しかし主イエスがパンを裂いてお渡しになった時に弟子たちの目が開け、復活の主に気付きました(30〜31節)。食事の場面には聖餐式が象徴されているため、著者ルカはこの場面によって、礼拝で復活の主と出会うことの大切さを示していると考えられています。この意味を心に刻み、様々なことで信仰の目が遮られている時にこそ、復活の主が礼拝で私たちと出会っておられる恵みを思い起こしながら、教会生活を歩み続けてまいりましょう。

author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 11:34
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礼拝メッセージ 2020年5月3日

2020年5月3日
聖書:マタイによる福音書28章1〜10節

説教題
「復活の主と女性の弟子たち」

渡辺善忠牧師(要旨)
 


主イエスが十字架上で息を引き取られた時には、大勢の婦人たちが遠くから見守っており、その中には「マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた」と記されています(27章55〜56節)。しかし主のご遺体が墓へ葬られた場面と復活された場面には、「マグダラのマリアともう一人のマリア」の二人だけがいたと伝えられています(27章61節/28章1節)。このため著者マタイは、二人のマリアが主の復活を最初に信じたことに加えて、「もう一人のマリア」という匿名の存在によって、女性たちが主の十字架と復活の証人であったことを伝えていると考えられています。このような背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜならマリアをはじめとする女性たちの証言は主の直弟子たちに伝えられ、弟子たちは主のご命令に従って建てられた教会で十字架と復活による救いを伝え始めたからです。この意味を心に刻み、神の御子イエスの救いの御業を心から信じ、伝える器とされるように祈り合いながら、新しい週へ遣わされてまいりましょう。

author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 11:32
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礼拝メッセージ 2020年4月26日

2020年4月26日
聖書:マルコによる福音書16章14〜20節

説教題
「主イエスの復活と昇天」

渡辺善忠牧師(要旨)
 


今日の御言葉が書かれた紀元1世紀後半には、ローマ帝国に多くの教会が建てられていました。「全世界」は当時のローマ帝国全土を指す意味でした。このため「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」という主イエスのお言葉は、ローマ帝国の教会へ伝道をお命じになる意味がありました(15節)。ローマ帝国はこの時代に、地中海沿岸を広く支配していました。このため「全世界へ行って」という御言葉には、ローマ帝国の全土に教会が建てられることを願った人々の祈りが託されています。「至るところで」という御言葉も、「ローマ帝国の至るところで」という意味です(20節)。御子イエスはこのお言葉によって、ご自身の十字架と復活の御業を宣べ伝えることを命じておられます。このような背景は私たちにとって大切な意味があります。なぜなら私たちは、教会を通して告げられた主の救いの御業にあずかっているからです。この恵みを感謝して受け入れ、神の御子イエスの十字架、復活、昇天の出来事を心から信じ、伝える器とされるように祈り合いながら、新しい週へ歩み出しましょう。

author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 11:29
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礼拝メッセージ 2020年4月19日

2020年4月19日
聖書:マルコによる福音書16章9〜13節

説教題
「復活の主と弟子たち」

渡辺善忠牧師(要旨)
 


復活された御子イエスは、まずマグダラのマリアに現れました(9節)。16章の前半には、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメが、主が葬られた墓の中で、主が復活されたことを若者から告げられたと伝えられています(1〜8節)。マタイとルカ福音書の同じ場面にもマグダラのマリアが登場し、ヨハネ福音書では復活の主がマリアにあらわれた様子が印象的な物語として描かれています。このため、復活の主が最初にマグダラのマリアにあらわれた出来事は本当であったと考えられています。マリアが復活の主にお目にかかったことを知らせた時に、他の人々は信じませんでした(10〜11節)。しかしマリアや他の女性たちから主の復活を知らされた人々は、この出来事を後から信じ、教会を通して主の十字架と復活を宣べ伝えるようになりました。この出来事を心に留めて、教会としても一人の信仰者としても、御子イエスの十字架と復活を語り伝える器とされるように祈り合いながらイースターの季節を歩み続けてまいりましょう。

author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 11:16
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礼拝メッセージ 2020年4月12日

2020年4月12日
聖書:マルコによる福音書16章1〜8節

説教題
「主イエスは復活された」

(イースター礼拝/聖餐)

渡辺善忠牧師(要旨)
 


マルコ福音書では、主イエスが復活された場面に主のお姿が伝えられておりません。このため今日の場面には、復活の主のお姿よりも、主が復活された出来事を証言することの大切さが示されています。著者マルコがこのように考えていたことは、主が葬られた墓の中にいた「若者」の姿に象徴されています。なぜなら「若者」は主イエスが捕らえられた場面にも登場し、十二人の直弟子たちの中で最も若かった著者マルコのことだと言われているからです(14章51〜52節参照)。このためマルコは、御子イエスの十字架と復活を語り伝えている自分の姿を「若者」に織り込んだと考えられています。この意味を心に留めて、神の御子イエスが十字架上で息を引き取られ、墓に葬られ、三日目に復活された出来事の証人とされるように祈り合いながら、イースターの季節を歩み出しましょう。

author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 11:10
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礼拝メッセージ 2020年4月5日

2020年4月5
聖書:マルコによる福音書15章21〜41節

説教題
「主イエスの死」(棕櫚の主日)

渡辺善忠牧師(要旨)
 

ローマ軍の兵士たちは、十字架刑の判決を下された者に鞭打ちや暴力を振るいました(15、19節)。兵士たちは屈強であったため、暴力を受けた囚人が十字架を担いで歩くことは困難でした。このため主イエスがゴルゴタへ向かう途中で、シモンが主の十字架を担ぐことになりました(21〜22節)。著者マルコはこの場面によって、御子イエスが真の人間として肉体的に苦しまれたお姿を伝えています。また「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という御言葉には、御子イエスが精神的にも苦しまれたことが示されています(34節)。著者マルコがこのような視点で今日の場面を記したことは、私たちにとって大切な意味があります。なぜなら主イエスは、私たちの罪を赦して下さるために苦しみを受け、十字架上で息を引き取られたからです。この意味を心に刻みながら受難週からイースターへ向かって歩んでまいりましょう。

author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 11:05
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礼拝メッセージ 2020年3月29日

2020年3月29
聖書:マルコによる福音書15章1〜20節

説教題
「偽りの裁判」

渡辺善忠牧師(要旨)
 


ローマ帝国の総督ピラトは主イエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問しました(2節)。ピラトは、主イエスが自分に抗う者かどうかを確かめる意味でこのように質問しました。ピラトは主イエスのことを政治的な犯罪者ではないと思っていましたが、「十字架につけろ」という群衆の叫びに屈して十字架刑の判決を下しました(13〜15節)。「ユダヤ人の王」という御言葉には、主イエスが真の王であることを示す信仰的な意味もあります。このため著者マルコは、真の王イエスが偽りの裁判を耐え忍ばれたことを語り伝えていると考えられています。このような背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜならピラトや群衆の姿には、神に抗う私たちの姿が象徴されているからです。また神の御子イエスは、私たちを救って下さるために、偽りの裁判によって十字架刑の判決を下されたからです。この意味をおぼえて、神の御子イエスが、私たちを救って下さるために十字架に向かわれたお姿を心に刻みながら、受難節の第五週へ遣わされてまいりましょう。

author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 17:02
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礼拝メッセージ 2020年3月22日

2020年3月22
聖書:マルコによる福音書14章53〜72節

説教題
「イエスは何者か」

早川明彌神学生(要旨)


私たちにとって、イエスは何者でしょうか。大祭司はイエスに対してこう言いました。「おまえは神の子、メシアなのか」。ペトロは「あなたはメシアです」と言っていたのに、今日の場面では「そんな人は知らない」と言ってしまいました。意気地なしだからでしょう。しかし大きな原因は、ペトロの理解が違っていたからです。イエスは戦いに強いメシア(救い主)ではなく、低く降って十字架につかれるメシアなのです。マルコ福音書の証言は、イエスは主なる神だということです。神でありながら低くなられ、惨めな十字架にかかりました。イエスは復活して高く挙げられ、父なる神と共におられます。そしてやがて、終末の時に私たちのもとへ来られるのです。教会の暦は、イエスが十字架に向かって歩んでおられることをおぼえる受難節です。この方にふさわしい者となるように、この季節を歩みたいと思います。私たちも、やがてイエスとお目にかかります。キリスト者は、イエスを誇ってたたえるのです。

author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 16:57
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礼拝メッセージ 2020年3月15日

2020年3月15
聖書:マルコによる福音書14章27〜52節

説教題
「ゲッセマネの祈り」

渡辺善忠牧師(要旨)
 


神の御子イエスは三人の弟子たちと共にゲッセマネへ行き、父なる神の御心を祈りの内に受け入れ、十字架へ向かわれました(32〜42節)。またユダは、祈りの場所であったゲッセマネで主イエスを裏切り、他の弟子たちは皆、主を見捨てて逃げてしまいました(43〜52節)。この場面は、私たちにも大切な意味があります。なぜなら主イエスは、私たちを救って下さるために、祈りの内に神の御心に従い、十字架へ向かわれたからです。またユダが祈りの場で主イエスを裏切った出来事には、私たちが礼拝の時に主に背く思いを持っている姿が象徴されています。この意味をおぼえて、御子イエスが十字架へ向かわれる前にゲッセマネで祈られたお姿を心に刻み、聖書の御言葉と聖霊によって主に従い続ける弟子とされるように祈り合いながら、受難節の第三週を歩んでまいりましょう。

author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 16:55
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礼拝メッセージ 2020年3月8日

2020年3月8
聖書:マルコによる福音書14章12〜26節

説教題
「最後の晩餐」

渡辺善忠牧師(要旨)
 


イエス様と弟子たちは、エルサレムで過越祭の食事をしました。この食事はイエス様が十字架に架けられる前の最後の食事となったため、「最後の晩餐」と呼ばれています。イエス様を裏切ったユダも一緒に食事をしていました。私たちも、ユダのようにイエス様を裏切ることがあります。このためユダが食卓にいた場面には、イエス様が、悪い心を持っている私たちを礼拝へ招いておられる恵みが示されています。弟子たちはこの意味をおぼえて、イエス様が十字架に架けられた出来事を、聖書の御言葉と食事によって伝えるようになりました。この食事は、礼拝の聖餐式に受け継がれています。この意味を心に留めて、聖書の御言葉と聖餐式によってイエス様の十字架による救いの御業を伝え続ける者とされるように祈り合いながら、受難節の第二週へ歩み出しましょう。

author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 16:52
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