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礼拝メッセージ 2018年2月25日

2018年2月25日
聖書:ヨハネによる福音書18章12〜27節

説教題
「ペトロともう一人の弟子」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

ヨハネ福音書には、シモン・ペトロともう一人の弟子が大祭司の屋敷の中庭に入ったと伝えられています(15〜18節)。他の福音書の同じ場面では、ペトロだけが大祭司の屋敷に行ったとされており、他の弟子は登場致しません。このため福音書の著者ヨハネは、自分も主イエスが苦難を受けた出来事の証人であることを語り伝えるために「もう一人の弟子」という存在を加えたと考えられています。また著者ヨハネは、自分の名前を記さずに匿名の弟子を登場させることによって、福音書の御言葉を辿っている全ての人々が、主イエスが十字架に架けられた出来事の証人とされていることを示していると考えられています。ヨハネがこのように考えたことは、私たちにも大切な意味があります。なぜなら私たちもそれぞれの歩みの中で、主の救いの御業を証しする弟子とされているからです。この意味を心に留めて、私たちもペトロやヨハネと共に、主イエスが十字架へ向かわれたお姿を語り伝える「もう一人の弟子」とされている恵みを感謝して受け入れながら、受難節の第二週へ遣わされてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 23:34
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礼拝メッセージ 2018年2月18日

2018年2月18日
聖書:ヨハネによる福音書18章1〜11節

説教題
「だれを捜しているのか」

渡辺善忠牧師(要旨)
 
主イエスはご自身を捕えに来た人々に対して、「だれを捜しているのか」とお尋ねになりました。この問いに対する「ナザレのイエスだ」という言葉には、主イエスが本当の人間としてナザレでお育ちになったことが示されています。また「わたしである」という主イエスのお言葉は、旧約聖書では父なる神を示す言葉として用いられています(4〜5節、7〜8節)。今日の御言葉にこのような背景があることは、ヨハネ福音書が書かれた時代に関わりがあります。なぜならヨハネ福音書が書かれた第三世代の教会では、御子イエスが真の人であり神でもあるという信仰の理解が定着していたからです。このことは、私たちにも大切な意味があります。なぜなら主イエスは、私たちを親しく導いて下さるために人間として地上を歩まれ、父なる神と等しい神として十字架に架けられ、復活によって私たちに新しい命を授けて下さっているからです。この意味を感謝して受け入れ、主イエスが私たちを救って下さるために十字架に向かわれたお姿を心に刻みながら、受難節を歩んでまいりましょう。

 
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 23:16
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礼拝メッセージ 2017年2月11日

2018年2月11日
聖書:ヨハネによる福音書5章19〜30節

説教題
「父なる神と御子イエス」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

「父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える」という御言葉には、父なる神と同様に、御子イエスが命を司る神であることが示されています(21節)。ユダヤ教では父なる神のみが神と理解されているため、この御言葉には教会とユダヤ教の信仰の理解の違いが示されています。このため福音書の著者ヨハネは、「今やその時である。その声を聞いた者は生きる」という御言葉によって、主イエスの御声を聞く者に永遠の命が授けられる約束を語り伝えました(25節)。このような背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜなら主イエスは、聖書の御言葉と聖霊によって、全ての人々を永遠の命へ招いておられるからです。この意味を心に刻み、御子イエスが命を司る神であることを信じ受け入れながら教会生活を歩み続けてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 22:12
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礼拝メッセージ 2018年2月4日

2018年2月4日
聖書:ヨハネによる福音書5章1〜18節

説教題
「安息日と癒しの御業」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

今日の前半の御言葉には、主イエスがエルサレムのベトザタで、38年病気で苦しんでいた人を癒されたと伝えられています(1〜9節)。しかし後半の場面には、安息日を厳しく理解していたユダヤ人たちが、病を癒された人が床を担いでいたことをとがめたと伝えられています(10節)。このユダヤ人たちは主イエスを迫害し始めて、殺そうとねらうようになりました(16〜18節)。主イエスが迫害された理由は、安息日を破ったことに加えて、御自身を神と等しい者とされたことでした。主イエスが御自身を神と等しい者とされたため、今日の場面には、安息日を司る神である主イエスが病を癒したことが強調されていると言われています。このことは、私たちにも大切な意味があります。なぜなら主イエスは、安息日を含めて、私たちに日々新しい生命を授けておられるからです。この意味を心に刻み、神である主イエスが全ての時に私たちを守り導いておられる恵みを感謝して受け入れながら、新しい週の歩みへ遣わされてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 22:08
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礼拝メッセージ 2018年1月28日

2018年1月28日
聖書:ヨハネによる福音書4章43〜54節

説教題
「私たちを癒して下さる主イエス」

渡辺善忠牧師(要旨)
 
今日の御言葉には、主イエスの癒しの御業が伝えられています。この場面はマタイ福音書とルカ福音書にも収められていますが、今日の場面は他の福音書と二つの大きな違いがあります。第一の違いは、カナとカファルナウムという大変離れた場所で、主イエスがお言葉だけで病を癒されたことです(50節)。古代には主イエス以外にも、様々な方法で病を癒す人々がいたと伝えられています。このため福音書の著者ヨハネは、神の言葉として地上に遣わされた主イエスが、お言葉だけで病を癒された出来事を際立たせるために、離れている二つの町を設定したと考えられています。また第二の違いは、ヨハネ福音書だけに伝えられている「昨日の午後1時」という御言葉に示されています(52節)。なぜなら「午後1時」という時刻には、主イエスご自身が定めた時に病が癒されたことが示されているからです。ヨハネ福音書と他の福音書にこのような違いがあることは、私たちにも大切な意味があります。なぜなら今日の場面には、近代的な医療を受ける時にも、主イエスの癒しの御業に信頼することの大切さが示されているからです。また神は、御心にかなった時に病を癒して下さるからです。この意味を心に留めて、神である主イエスが私たちの生命を日々守り導いておられる恵みを感謝して受け入れながら、新しい週の歩みへ遣わされてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 22:05
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礼拝メッセージ 2018年1月21日

2018年1月21日
聖書:ヨハネによる福音書4章27〜42節

説教題
「サマリア伝道」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

今日の場面には「一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる」、「他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている」という主イエスのお言葉が伝えられています。この御言葉にはいずれも、サマリア地方の伝道が世代を越えて受け継がれたことが示されています(37〜38節)。また「弟子たち」という御言葉には、「教会」という信仰共同体全体で伝道の働きを担うことの大切さが示されています。このような背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜなら主イエスのお言葉には、教会が二千年の歴史を通して伝道の御業に勤しんでいることが示されており、「弟子たち」という御言葉には、私たちの全ての歩みが伝道の働きとされることの大切さが示されているからです。この意味を心に刻み、私たちも、主イエスと共に伝道の働きを担う弟子とされるように祈り合いながら、新しい週の歩みへ遣わされてまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 22:02
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礼拝メッセージ 2018年1月14日

2018年1月14日
聖書:ヨハネによる福音書4章16〜26節

説教題
「真理をもって礼拝する」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

今日の場面には、イエス様が霊と真理をもって礼拝することの大切さを二回続けておっしゃったと伝えられています(23〜24節)。「霊」は聖霊のことであるため、この御言葉には、私たちが聖霊によって礼拝へ導かれる恵みが示されています。また「真理」という御言葉には、神様が真実な方であることと、神様の言葉が伝えられている聖書の御言葉が真実で変わらない言葉であるという意味があります。このことは、私たちにとって大切な意味があります。なぜならイエス様は「霊と真理をもって礼拝する」という御言葉によって、聖霊の導きによって礼拝へ連なり、礼拝で与えられる聖書の御言葉を神様の言葉として聴くことの大切さを語っておられるからです。この意味を心に留めて、霊と真理をもって礼拝を捧げる者とされるように祈り合いながら新しい年を歩んでまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 21:59
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礼拝メッセージ 2018年1月7日

2018年1月7
聖書:ヨハネによる福音書4章1〜15節

説教題
「主イエスとサマリアの女性」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

ヨハネ福音書には、主イエスがサマリア地方の女性と会話をなさった後に、サマリアの多くの人々が信仰へ導かれたと伝えられています(4章1〜42節)。サマリアは旧約聖書の時代に他の国々から度々支配されたことに加えて、紀元前1世紀からはローマ帝国が治めていたため、他の神々を拝む人々が多く住んでいました。このためイスラエルの人々は、サマリア地方を汚れた場所だと考えて、この地方の人々と付き合わないように留意していました(9節参照)。ところがヨハネ福音書には、主イエスと弟子たちがサマリアで伝道した出来事が、大変詳しく伝えられています。このため、ヨハネ福音書が書かれた背後の教会は、サマリア地方の伝道にある程度成功していたと言われています(14節)。このような背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜなら主イエスは、伝道することが難しく思える場所の人々も、ご自身の救いの御業へ招いておられるからです。この意味を心に留めて、主イエスが私たちを永遠の命へ導いて下さる恵みを感謝して受け入れながら、新しい年を歩んでまいりましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 21:52
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礼拝メッセージ 2017年12月31日

2017年12月31日
聖書:マタイによる福音書2章13〜23節

説教題
「新しい出エジプト」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

今日の場面の前半には、ヨセフが天使の言葉に従ってエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいたと伝えられています(13〜15節)。また後半の場面には、ヨセフが幼子イエスと母を連れてイスラエルの地へ帰り、ガリラヤ地方のナザレに住んだと記されています(21〜23節)。この場面は、イスラエルの人々がパレスチナからエジプトへ行き、再びパレスチナへ帰った出エジプトの出来事に照らして記されたと考えられています(創世記〜出エジプト記参照)。古代のユダヤ教は出エジプトの時代から始まったと言われているため、著者マタイはこの場面によって、神が新しい救いの御業を始められたことを語り伝えていると考えられています。このような背景は、私たちにも大切な意味があります。なぜなら神は、旧約時代からのご計画によって私たちを救いへ招いておられるからです。この意味を心に刻み、神の救いの御業を感謝して受け入れながら、新しい年へ歩み出しましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 21:36
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礼拝メッセージ 2017年12月24日

2017年12月24日
聖書:マタイによる福音書2章1〜12節

説教題
「真の王イエス」

渡辺善忠牧師(要旨)
 

神の御子イエスがお生まれになった紀元前後の時代に、パレスチナ地方の西側はローマ帝国が、東側はペルシャ帝国が治めていました。このような背景は、今日の場面に示されています。なぜならヘロデは、ローマ帝国のもとでパレスチナ地方の西側を治めていた王であり、東の方から来た占星術の学者たちはペルシャ帝国の学者であったと考えられているからです。パレスチナ地方は東西の狭間であるため、古代から現代に至るまで絶え間なく争いが続いています。このため旧約聖書には、イスラエルの人々が、政治的な意味を越えて、全ての国々を司る真の王があらわれることを待ち望むようになったと伝えられています。御子イエスはこのような状況の中で、真の王としてお生まれになりました。最初のクリスマスにこのような背景があることは、私たちにも大切な意味があります。なぜならマタイ福音書の場面には、私たちが自分の知恵や力に頼るのではなく、神の御子イエスのみを王として信頼することの大切さが示されているからです。この意味を心に留めて、神の御子イエス・キリストが真の王として遣わされた恵みを感謝して受け入れながら、クリスマスを喜び祝いましょう。
author:sugamo-church, category:礼拝メッセージ, 21:34
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